適当な生き方

今朝から、会社に出向くようになった。

 

簡単な雑用を手伝ったりしつつ、社長がこれから町のためにしたいことなどを聞いた。

 

ひとまず、夏の事業に向けての準備をすることと、自分にやってもらいたいこと、お金のことなどを大まかに聞いたが、同意できる部分もあれば、不安なこともあった。

 

自分は5月中旬までは、この町にいるつもりで、それまでに、ここに残り続けるかどうかを決めたいと話した。

 

やりがいがあることだとは思うけど、それが自分がやりたいことかと言うと、まだよく分からない。

むしろ、ちょっと違う気がする。

ここで、町おこし?的な何かに関わって、自分で事業を興してどんどん頑張るというより。

都会ではできない生き方。

大きいことを言うみたいで引けるけど、日本の新しい生き方の提示、みたいな。

そんなことをここでできないだろうか?って思ってる。

 

むしろ、じゃなきゃ僕にとって、ここに居る意味はあまりないのかもしれない。

だって、この町や、北海道全域でこのまま放置すると確実に衰退していくってのは賢い学者が統計だしてて、もう明らかなんだよね。

政治の力を使わないと、どうにもこうにも解決できそうもないよなーって。

 

それに、過疎ってるのは、ここに住む町民たち自身が、そのまま放置してきた問題なんだし、余所から来た自分が手を出すようなことでない気もするし。

けど、ここにきて最初に思ったのが、都会の人も含めて日本全体がこの町を放置してきたんだってことでもあって。

 

町民たちが、自ら変えていこうってならない限りずっと変わらないし、以前ここに居た地域おこし協力隊も、そういう風に思って結局残らなかったみたいだし。

全国で同じような結果があって、うまく機能してないみたいだね。

ここの町民は、あーそういう人がいたみたいだねってくらいだし、何してるのかよく知らない間にいなくなっちゃった。

とか、あれは国が「田舎のこと考えて政策してるよーっていうポーズだよ」ってシラケてたりだった。

 

んー、それはそうとして、いや、どうなんだろう。

ここに残るってことは、ここの住民になるんだから、町を衰退させないために働きかけるのは当然なのかもしれない。

やらなきゃいけないのかもしれない。

それを期待もされている。

けどそれって、自分のやりたいことと、どうつながるんだろう?

 

たしかに過疎の町で生きていこうとするなら、町を活性化して永続的な生産を続けて、発展していく必要があるけど、それを目指して忙しく生きるって自分には向いてないだろうし、それがイヤだから都会で暮らすことに疑問を感じたんじゃ?

この矛盾は、どうやって解決したらいいんだろう?

 

 

ドロップアウトして自由に生きる生き方を選んだ人がいるけど、あの人は都会に住んでる、都会だから人も来るし、都会にそこそこ近い距離の畑をもって自給自足してるって言ってる。

だけど、都会のおこぼれを預かりながら、ある種、都会に寄生しておきながら経済成長を批判したりしてるのって矛盾してないのかな。

もちろんこの町みたいな田舎だって都会に頼ってるには変わらないけど、それとはちょっと違う気がする。

 

僕は、薪で火をおこして、とか、何がなんでも自然農法で~とか、なんか極端に質素な生活とか、文明を批判するような生き方はしたくないしできない、便利なものはどんどんできてほしいし、どんどん使って楽に生きたい。

 

便利なことからわざと、敢えて離れて、不便なりにも良い生活できるぜ、みたいなのはなんか違う。

 

都会じゃ週3日4日だけ店を開けて、それでも口コミでお客が来るし、その売上でも生きていけるけど、田舎じゃ店を出すと近隣の店のお客さんを食うっていう問題があったり、そもそも人が少ないので生活するだけのお客さんの数と、売上も少ないだろうなっていうのがある。

ここでお店をしてるのは、もう60歳70歳のおばあちゃんで半分ボケ防止だったり趣味でやってる。

そんなかんじで、生活とか将来とか別に頭になくても暮らしていける人たちが店をやってる。

 

それと、1日店を開けてないだけで、近隣住民からの不満が起きたり、都会じゃ考えつかないような変な問題がある。

ここにある店は、それぞれ休みをずらしたり、営業時間をずらしたり、かぶらないような商品だったりサービスだったりしている。

 

それほど住民間の距離が近くて、好き勝手やっては生きていけない、お付き合いというか、ここの程よいバランスが保たれてて、そこに従う必要もあるみたいだ。

まだ分かんないことだらけだけど、そういうのが衰退の根本原因なのかもしれないなー。

 

もちろん大型スーパーや大型ドラッグストアもすこし離れたところにあるけど、車も乗らないようなおじいちゃんおばあちゃんは、歩いて行ける距離の店で生活している。

 

たとえばここに飲食店を立てるとしたら、国道や県道沿いに立てて遠方からの運送屋や、地元の現業の人を相手にするとか、他の店舗の客を奪わないようにする必要もあるかもしれない。

そもそも店舗を構えず、ネット販売なんていうのもありかもしれない。

都会とは全然違うことが多すぎる。 

 

 

 

京大卒の有名ニートの人は、どうだろう?

あの人は、まず京大卒のネームバリューでインパクトがあったし、アフィリエイトSNSなど、ネットを勃興期から活用して、みんなが感じてた生きづらさを代弁してくれたから人気を得たし、あの人の雰囲気が好きで人が集まったり人脈ができたのかもしれない。

もちろんシェアハウスも立ち上げるほどだし、実業家でもある。

その生き方とか、存在そのものとかが注目されて、メディアにとりあげられたり、書籍の出版までやって成功している。

ニートと謳っていたけど(いまは35歳以上だからニートではないと本人が宣言した)最初からニートじゃないし、生きづらいから自分なりに生きやすい方法を模索していくなかで、いまの形になっていったんだと思う、たぶんそのための努力もしているよね。

 

あの人を見てると、大学の学生宿舎の感じを、地で続けてきたって感じがする。

なんか知らない先輩が来て、大量の肉を持ってきたり、友達がパチンコで儲かったから

酒をおごってくれたり、引越しするから古いテレビとかいる?とか、どっかしらからおすそ分けがあって、ゆるいつながりでなんか食っていけないかなー?みたいな。

そんなかんじの暮らしを続けたくて、そのための努力をしてきた結果なんだろうな。

 

あの生活を続けていくのも、アフィリエイトで稼ぐ能力、他人とシェアハウスで暮らす能力、SNSなどの発信力、人脈、それと都会という経済基盤が必要だから、僕とはちょっと違うなー。

周りの一般人からの共感は、「いいなーあんな生活したいなー。だけど自分にはあんな能力ないし無理だよなー」って感じだと思う。

だから妬みに変わる人もいるだろうし、皆がそんな生活したら社会は成り立たないんじゃないの?とか、将来どうするの?とか、単純に普通に働けよっていう意見がある。

 

「もう東京で消耗してないよ」の人はどうだろう?

まだあんまりよく知らないけど、有名ブロガーらしくて、ネットを活用して社会システムに依存しない生き方を実践してるかんじがする。

 

あの人は、まだ誰もあまり知らない新しい情報とか活動や自分の共感することを、取り上げたり関わって自由に生きられるんじゃないか?って提示してるかんじなのかな。

 

それもあまり一般的じゃない特殊能力だよなー。

なんかバリバリ働く人たちと変わらないかんじがして、僕とは距離を感じるし、たぶんほかの人も、そう感じてるんじゃないかなって思う。

うまいこと生きてるな、すごいなーと思うかんじ。

単純にやりたいことをやって、お金も稼いで、うらやましいとも感じる。

けど真似できないよなーって。

 

あと、山村で暮らしてるニートの人、都内で90万で生活してる人、これはどっちも似た感じかなー。

村の小学校の廃校舎で10人くらいでシェアハウスして、山で畑して自給自足して、村人の手伝いのバイトして、金がなくなったら出稼ぎバイトして、お金ないけどいまを楽しんで生きてる。

村を作りたいっていう夢ももってるらしい。

若くしてそういう生き方を選択したのはすごいなー。

 

年収90万円で都内で生活してるひとはどうかな。

「都内でも、仕事をできるだけせずに、質素だけどゆっくり生きる方法あるよ」ってのは真新しいかんじがしたけど、そこまで必死に働くのを拒否するくらいの熱があるなら自分に合った職場と、仕事さえあれば、普通に働けそうだし、そんな生活してまで都内に残る意味ってなんだろう?って思うなー、(本人にとっては生きやすいのかもしれないけど)普通のフリーターと何がちがうのかな?って思う。

 

そうそう、昔読んだ森永卓郎さんの「年収300万円時代を生き抜く経済学」を思い出したなー。

それから数年して200万円、いま調べたら120万円時代を生き抜くなんて本を出しててびっくりした、というか経済対策が微妙だし当然だよねーとも感じたけど。

 

 

僕なら都内なら、深夜のコンビニバイトで6時間勤務で、ノートパソコン持ち込み可とかの、まったり働けそうな店主のいる店を探して、週5~6日くらいで時給1500円で働くのを選ぶかな。

敢えてそれを実践してるフリーターも知ってるし、暮らしぶりを聞くと贅沢はしないけど、紅茶の葉を濾してどうのこうのとか、なんていうか、そういう貧乏くさい生活はしていないし、そこまで質素でもないし、時間があるから趣味にも時間を使ってある種、優雅に過ごしてる。

 

今はいいけど将来どうするの?とは思うけど、そういう生き方はできるよね。

そういう人が、将来をどうにかやっていくには何かしらのコミュニティや仲間がそばにいれば、死にはしないんじゃないかなって思うけど、そんなのなかなかできそうでできないよね。

 

だってみんな貧乏だもの。

実感として国民の9割は貧乏だと思うなー。

ほんと、みんな貧乏だよ、貧困じゃないけど貧乏になった。

 

いや、あるところにはあるんだろうし、お金持ちはいるんだろうけど、そんな一部の話してもね。

一般の人も、一応は生活もできてるし、寄り好みしなければ普通の生活はできてるけど、それって長い間のデフレに慣れてるだけじゃないの?って思ってしまう。

 

少なくとも、20代30代、もしかしたら40代くらいまでの人は、そんなお金もってないと思う。

こういう話になると、必ず○○しない若者、とか言われるけど、みーんなお金ないからしないだけだし、昔なかったスマホのみたいな便利なツールにお金使ってたり、別に車とか贅沢品がなくても他に楽しいことも増えたし、まあいいやって感じなんだろうなー。

 

 けどたぶん、お金が余ったらそれぞれの趣味や、今まで見てこなかったものに対しても目を向けたり、それに時間もお金もかけてみたりするんだろうな。

やっぱりお金ないからしないってだけだと思う。

少しお金あっても将来不安だし貯金しなきゃなーとかね。

 

かなり脱線しちゃったけど、上に並べた人たちの生き方は、世の中から逃亡、脱却、離脱、反逆、創生、そんなかんじで今の社会が、自分に合わなかったり疲れたり、あり方に疑問に感じて、「もーいいよー♪」って選んだ道なんだろうなー。

 

 

ちょうどフィッシュマンズ聴きながら書いててなんか出てきた。

 

 

僕は、どうだろうな?

適当に生きたいなー、テキトーに。

適当に生きていけないかな。

田舎に来て、ここの人に見守られて、ここの人と関わりあって、

この町のためになることをして、助け合って、

そこそこの収入と、そこそこの時間と、都会と同じくらいの楽しいこともあって、

ほどほどのことがあれば、優雅に過ごしていける気がするのにな、

今まで誰もやってこなかった生き方、

したいなー。

豊かさってこういうことだよなーみたいな、

今までより、もっと豊かに、適当な生き方があっていいんじゃないかって。

そう思うんだけどなー、そんな甘くはないよね。

 

どうしたらいいんだろうなー。